2022年に世界で注目を集めること必至の型破りなプロジェクトが進められていることをご存知だろうか?
アイアンマンなどに代表されるフルディスタンスのトライアスロン(スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2km)で、男子7時間切り、女子は8時間の壁の突破を目指す『PHO3NIX(フェニックス)・サブ7&サブ8プロジェクト』だ。ここではアルファベットの“E”を反転させ、“3”に見立てた文字を交えた造語として“フェニックス”と称している。
<クリス・マコーマックらがプロデュース>
不可能に挑み、共に発展しよう。
そんなコンセプトでプロジェクトを主宰するのはポーランドの実業家、セバスチャン・クルチェク氏が立ち上げたフェニックス財団で、これは社会貢献を目的とした機関&基金。具体的にはスポーツ事業を介し、子供たちの健康を促進する環境の創出や、若者たちの育成プログラムを地域へ提供することなどをミッションにしており、さらにはプロトライアスリートを中心とした選手のサポート活動も行っている。
そのシンボリックなイベントとして『サブ7&サブ8プロジェクト』が誕生。同プロジェクトには、あのクリス・マコーマック(アイアンマン世界選手権2回優勝などの実績をもつ)が運営に関わっており、人類の限界を超える一大レースをプロデュースしている。
この(サブ7&サブ8)プロジェクトは、実は2021年1月からスタートしており、すでに4名のアスリートがチーム員に選出されている。
男子はアリスター・ブラウンリー(イギリス)とクリスティアン・ブルンメンフェルト(ノルウェー)、女子がルーシー・チャールズ-バークレー(イギリス/写真下)とニコラ・スピリグ(スイス)だ。
以上の4人が、主催者が設定した特別なタイムトライアル・レースを走り、全人未踏の記録に挑むという。
周知のとおりブラウンリーとブルンメンフェルト、そしてスピリグはオリンピックの金メダリスト、チャールズ-バークレーは2021年のアイアンマン70.3世界選手権を制するなど今最も勢いのあるアスリートだ。そういう意味でも、このイベントには先見性がある。
たとえばブルンメンフェルトはプロジェクト参戦の表明後に東京オリンピックを制覇。ワールドトライスロン・チャンピオンシップシリーズのタイトルを獲得した上に、アイアンマンでは11月のメキシコ・コスメルで7時間21分12秒という、驚異的なレコードタイムをマークしている。一方でチャールズ-バークレーの2021年の活躍も目覚ましく、今年もトライアスロン・シーンの中心となる女性アスリートといえる。
さらにはロンドン&リオ五輪と連覇しているブラウンリー、同じくスピリグ(写真下)はロンドン金、リオは銀メダリストのタイトル、そしてアイアンマンやデュアスロンでも輝かしい実績を有する。ちなみにスピリグは、地元のチューリッヒ・マラソンで2時間37分12秒というエリートランナー並のタイムもマークしている。
まさに、これ以上ない期待感を与えてくれるキャスティングといえるだろう。
<実現を目指す特別なルールとロケーション>
とはいえ、フルディスタンスのトライアスロンで7時間(男子)、あるいは8時間(女子)の壁を突破するというのは想像を絶するものがある。
たとえばブルンメンフェルト(写真下)は、「まだタイムを深く掘り下げていませんが、少なくともスイムは45分でアップしなければならないでしょう。その後のバイクで3時間45分、ラン2時間30分をマークすれば7時間切りが見えてきますね。これは、もちろんトランジションのタイムも含めてということになりますが」と見立てているという。
果たしてそのようなことが可能なのだろうか?
それを実現するためにレース主催者が定めたのが、10人のペースメーカーを利用することができるという特別なルールだ。
「記録を狙うマラソンでペースメーカーを導入するイメージでしょうか。2017年と2019年にエウリド・キプチョゲ(ケニア/マラソン男子世界記録保持者、リオ&東京五輪マラソン金メダリスト)がマラソンで2時間切りを目指すレースに臨みましたが、それと似た形式ともいえるでしょう」(マコーマック)
このサブ7&サブ8プロジェクトのレースに挑戦する選手たちは、スイム、バイク、ランのそれぞれに、自ら選んだペーサーを配することが許されている。たとえば、スイムで競泳選手にペースメイクしてもらい、バイクではプロサイクリストとローテーションを組んで走行するといった具合だ。つまりバイクはドラフティングOKで、ツール・ド・フランス(TDF)のチームタイムトライアルのようなレース形態になるだろう。
「それはロングディスタンスのトライアスロンと認められるのか?」という人もいるかもしれない。
しかしマコーマックは、「今回のミッションは何事にもチャレンジする精神や、スポーツを通じて自身を高めることの素晴らしさ、価値観を多くの人たちへ発信していく狙いもあるのです」と、その開催意義を唱えている。
考えてみてほしい。
たとえばバイク180kmを3時間45分で走るとすると、平均速度は単純計算で時速48km。さらに前後のトランジションタイムも含めると、3種目で7時間を切るためには時速50km超の巡航スピードが必要になる。これは、TDFの平坦ステージ(通常160km超のコース)の走行アベレージを上回ろうかというペースになり、それだけでもフェニックス・プロジェクトが規格外のレースになることは容易に想像できるだろう。
そういった特別なルールに加え、主催者はレースのロケーション選定にも熟考を重ねているという。
タイムを出しやすい絶好のスイムコース。バイクの路面状況や起伏、レース当日の風といったコンディション、さらには選手の移動ストレスなど、タイム短縮にプラスになる要素を徹底的に分析し、“サブ7&サブ8” という空前絶後の記録を叩き出せるコースを現在調査中とのこと。
具体的な開催日程や場所は今春の発表になるが、2022年の新型コロナウィルスの状況も勘案しながらの選定となりそうだ。
ここで予測されるのは、平坦なサーキットコースをメインとしたレース会場だろう。
モデルとして2021年12月にアメリカ・フロリダ州で実施されたレース『クラッシュ・デイトナ』が挙げられる。これは自動車レースで有名なオーバル(楕円形)コースをバイクで走り、隣接する貯水池をスイム会場として利用する高速レースで有名な大会。昨年優勝したブルンメンフェルトは、80kmのバイクパートで平均時速46km超を単独走でマークしている。
このような「前人未到の記録記録に挑む」、「サーキットコースが舞台」というキーワードも、2017年にイタリア・モンツァのF1コースで、先のエウリド・キプチョゲが挑戦した大会がシンクロする。彼が多数のペースメーカーを擁して非公認ながらマラソンで2時間を切るタイムを目指し、話題になったレースを記憶している人は多いのではないだろうか(そのときのタイムは2時間00分25秒。その後、キプチョゲは同形式の特別レースに再戦し、1時間59分40秒をマークしている)。
<レースが新たなイノベーションを生み出す>
2019年のアイアンマン西オーストラリアを7時間45分20秒の大会レコードで優勝し、ロングディスタンスでの適正も証明してみせたブラウンリーは、(競技時間の半分以上を占める)バイクパートがこのフェニックス・プロジェクト(レース)成功の鍵になると考えているという。
「スイムとランで削り出せるタイム以上に、バイクは重要となるでしょう。使用する機材はもちろん、運動時のエネルギー効率や空気力学など、パフォーマンスを最大化するための要素を徹底的に洗い出す。非常にエキサイティングなチャレンジに興奮しています」
このブラウンリー(写真下)の見立てにもあるように、フェニックス・プロジェクトは単なる記録への挑戦だけでなく、今後のトライアスロンの進化に大きな影響を与えることが予想される。
たとえばバイクではライディングフォームやウエア、そして新たなエキップメントなど。さらにはレース全体での補給システムといった1分1秒を削り出すためのテクノロジーが研究され、新しい概念が誕生する可能性は大いにあるだろう。
速さを競い合う競技のタイムが向上し、アスリートが進化していくというのは自然な流れではあるが、それを加速させるプロジェクトとなるかもしれない。
男子のロングディスタンスのレース(スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2km)で最初に8時間の壁が破られたのが1996年のこと。ドイツで行われていたアイアンマン・ヨーロッパ(現在はチャレンジ・ロートとして開催)でロタ・レダー(ドイツ)が叩き出した7時間57分02秒だった。それから四半世紀後、誰が今の状況を想像できただろうか。
2021年にブルンメンフェルトが7時間21分12秒をマークし、息をつく間もなく今年、7時間(女子は8時間)を切る時代が訪れるかもしれないということを。
2022年はこの『PHO3NIX(フェニックス)・サブ7&サブ8プロジェクト』の動向にも注目しよう。また新たな歴史が生まれる瞬間に我々は直面するかもしれないのだから。
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