レースの原風景 ~ the origin ~/ PTOヨーロピアン・オープン2023

PTOレース

「ライバルたちとしのぎを削り合う争いを繰り広げたあと、握手を交わす。レース後はみんなとピザでも食べに行きたくなるような感情になる。トライアスロンは他に類を見ないユニークなスポーツだよね。そこにあるのは競争であり友情、そしてお互いすべてを出し尽くし合おうという気持ち。まさに極上の競技なんだ」

5月6日。スペイン・イビザ島で行われた PTOヨーロピアン・オープンの、クリスティアン・ブルンメンフェルト(ノルウェー)との大会前インタビューでヤーン・フロデーノ(ドイツ)がそう語る。
まるでこのあと質問されるであろう内容を踏まえ、競技の尊さを訴えるように。驚くほど穏やかな口調で語るその姿には、一点の曇りもない信念が宿っていることが伝わってくる。

しかし、このインタビューの10日前にPTO(Professional Triathletes Organization)世界ランキング14位だったコリン・シャルティエ(アメリカ)が、ドーピング検査で陽性を示したことについて意見を聞かれると、語気は強まる。
「彼が EPO を使っていたと知ったときには怒りに震えた。僕の考えではドーピングは犯罪だ。刑務所行きだよ。プロアスリートとして次の世代へ歴史を残していかなければならない立場なのに。その上、彼は見え透いたウソをついている。禁止薬物を使ったのは昨年の11月からだって? そんな説明は信じられないね」(フロデーノ)

「彼には反省の色が見えないし、まわりの人たちを巻き込んで非難しているようにも思える。昨年9月のダラスのレースではクリーンだったと主張しているが、そこで獲得した賞金は戻さなくてはいけない。そして本当のことを話す必要がある。ドーピングしていたのは11月からだということについての真相を」(ブルンメンフェルト)

イビザ島での初レースでランの途中までデッドヒートを繰り広げたフロデーノ(前)とブルンメンフェルト。レース前からふたりの対決にも注目が集まっていた

このコリン・シャルティエの問題発覚後、今回のレースを主催するPTO は大きな混乱にさらされていたといえる。

シャルティエが今年の2月、レース出場期間外のいわゆる抜き打ちテストで採取された検体に、世界ドーピング防止機構(WADA)が使用禁止薬物に指定しているエリスロポエチン(EPO)製剤が含まれていたと発表されたのが4月24日だった。
EPO とは血液内にある赤血球の造血因子のこと。大部分が腎臓で作られる糖タンパクなのだが、この生産能力が低下すると貧血症状などを伴う重大な疾患につながるケースがあり、その治療に EPO製剤が投与される場合がある。
つまりこの投薬により赤血球を増やし酸素供給効率を上げることが可能で、使用禁止とされている大きな所以となっているわけである。

今回、シャルティエにこの検査を実施したのがアイアンマン・グループだ。同社は、前身となるワールド・トライアスロン・コーポレーション時代の、2005年からアンチ・ドーピング活動に積極的に取り組んでおり、現在は、国際検査機関(ITA)が提供するプログラムを利用。
具体的には1年を4期に分け、その都度アイアンマンに登録されているプロ・アスリートをグループ化し、検査対象としている。これにはレース出場時のみならず、事前に対象アスリートが提出したスケジュールに沿った中での日常も含まれ、いわゆる世界基準となっている検査フローといえる。シャルティエは2023年1月1日〜3月31日期に指定された46人のプールに含まれており、検査は2月10日に実施されていたという。

一方で、これまで PTO が行ってきたドーピング・コントロールは開催するイベントの期間のみ。レースの前に、参加するすべてのアスリートに検査を実施。それに加えてレース後、少なくとも男女それぞれ10人をランダムに選び、尿サンプルを採取して分析していたという。

今回、ドーピング検査で陽性となったシャルティエは、昨シーズンの主だった成績として8月21日にカナダで行われたアイアンマン・モントレンブランと、9月18日のPTO・USオープン(ダラス/写真上)で優勝。ダラスのイベントでは賞金10万ドル(約1,350万円)を獲得していた。

PTOは今後、さらなる厳格なドーピング検査システムを構築すると発表しているが、昨年のダラス大会時のシャルティエには違反がなかったとし、リザルトは(支給した賞金も)そのままに。その一方で制裁処置として PTOが主催する世界ランキング 対象アスリートから除外することとしたのだが、これに対して異を唱えるアスリートや関連者が SNS などで意見を陳述していた。

禁止薬物の使用を認めたため4年から3年へと活動停止期間は短縮されたシャルティエだが、再び競技に戻る予定はないという

中には「アイアンマンの検査フローがなければシャルティエはPTOヨーロピアン・オープンに出場していたのでは?」といった指摘があったり、公平性を重視するという考えを理由のひとつに挙げ、大会出場を見合わせた選手もいた。
新規大会開催のアナウンスから注目を集めていたビッグイベントを前に、誰もが望まない問題に直面していた状況であったともいえる。

男子レース】3人の五輪金メダリスト、2人のアイアンマン世界王者が争う最高の舞台へ
今回出場する選手たちはどのような心境だったのだろうか。
その答えは、レースでプッシュし続ける彼らの姿に現れていた。
男子レースの話題の中心を担ったのは、北京五輪金メダリストでありアイアンマン世界選手権(ハワイ)3度優勝のフロデーノ、ロンドン&リオ五輪チャンピオンのアリスター・ブラウンリー(イギリス/写真下)、そして東京五輪金、アイアンマン世界選手権(セントジョージ)覇者のブルンメンフェルト。

コースは地中海西部を臨むビーチを出発する2周回のスイム(2km)あと、直線基調でエアロポジションを最大限に活かして走らねばならない80kmのバイク、そして市街地を縫うように駆け抜けるラン18kmのファスト・レイアウトだった。
戦う舞台が最高であればあるほど、彼らの本能は掻き立てられる。与えられた環境下でベストを尽くし、そのときできる限りの最高のパフォーマンスを発揮することがアスリートの本分だと言わんばかりに。

男子5位のジェイソン・ウエスト(アメリカ)は、ランラップで2位のブルンメンフェルトを30秒上回る走りを見せ存在感をアピールした

そんな魂がぶつかり合う争いで、ランの途中からトップに立ちレースを支配したのがオーストラリアのマックス・ニューマン(写真下)だった。
昨年のハワイ4位。ランの序盤はブルンメンフェルト、グスタフ・イデンの前(2位)を伺う走りを見せ、世界ランカーの仲間入りを果たした新鋭は、フロデーノが期待を寄せる “ネクスト・ジェネレーション” の新たな顔ともいえるだろう。

「ヤーン、クリスティアン、そしてアリスター。彼ら3人(のレジェントたち)とレースができるなんてこの上ないご褒美だよね」とリスペクトを抑えられないニューマン。「クリスティアンと対等に戦うのにデタラメなんて必要ない。(必要なのは)パワーメーターと多くのハードワークだけなのだから」と、この期間の騒動を払拭するような力強いコメントで締めくくった。

バイクで圧倒的なパフォーマンスを見せたマグナス・ディトレフ。昨年のツール・ド・フランスを制したヨナス・ヴィンゲゴーと同じデンマーク出身の “フライング・デニッシュ” は、今年のアイアンマン世界選手権で間違いなく主役のひとりを担うニュー・ネクストジェネレーションだ

それにしても、今回フィニッシュしたの選手たちの表情を何と表現していいのだろうか。
持ちうる力を出し尽くせた充実感、仲間たちと最高の舞台を創り上げた達成感、あるいはレース前のかつてない複雑な心境を打ち消したあとの静穏……。

ノスタルジックにも感じるイビザの町並み。ビッグレースにしてはコンパクト過ぎるといえるフィニッシュレイアウト。
それらとのコントラストもあるのだろうか。フロデーノが、アリスターが、そしてブルンメンエルトたちがトライアスロンを職業とする前、ただただレースが、競い合うことが楽しかった時代がもしあったとするならば、そのときの想いが甦っている。そんな空間と時間が流れているかのようだった。
フィニッシュしたライバルたちを労い、約600日ぶりにレースフィニッシュを果たしたフロデノには皆が祝福に行く。このあとピザでも食べに行こうかと相談でもしていたのだろうか……。

そこにあったのはトライアスロン・レースの原風景、競技の原点を彷彿とさせる光景とも表現できようか。これは偶然の産物ではないだろう。

2023年前半の主役に躍り出たニューマン(中央)と2位のブルンメンフェルト、そしてディトレフ(3位/右)。ブルンメンフェルトはこの1週間後に横浜のワールドトライアスロン・レースに登場する。そう、世界のスタンダードは常に進化し続けているのだ

「今日のレースは大変でずっと苦しみました。(表彰台を逃して)インタビューを受け損ねたけれども私はそれを受け入れられます。まだ勝てる資格がなかったということでしょう。でも(レースに)戻って来られたのです。本当に素晴らしいことだ。次はハンブルク(アイアンマン)で会いましょう」とコメントしているフロデーノは、最後に “ Keep pushing ! ” とすべてのアスリートに向けエールを贈った。

【男子上位リザルト】
1 Max Neumann (AUS)   3:13:47
2 Kristian Blummenfelt (NOR) 3:14:14
3 Magnus Ditlev (DEN)   3:15:37
4 Jan Frodeno (GER)    3:16:03
5 Jason West (USA)    3:16:06
6 Alistair Brownlee (GBR)   3:17:04

【女子レース】まさに有終の美。驚くべきランパフォーマンスでレースを仕上げたハウク

女子のレースでは3人のアイアンマン・ワールドチャンピオンシップのタイトルホルダーがラインアップ。
世界選手権5勝のダニエラ・リフ(スイス)、2019年ハワイ優勝のアンネ・ハウク(ドイツ)、そしてディフェンディングチャンピオン(2023年ハワイ優勝)のチェルシー・ソダーロ(アメリカ)だ。

彼女らがトータル100kmのスピードレースにどう挑むかに注目が集まる中、スイムからバイクへとトップを独走したのがやはりルーシー・チャールズ-バークレー(イギリス/アイアンマン世界選手権2位が4回・写真下)だった。その後、ランで逆転を許し3位に甘んじるものの、「今シーズン最初のレースで思ったパフォーマンスが出せて満足です」と次のレースに期待を寄せていた。

そして圧巻のランパフォーマンスを見せ、結果、完勝劇を演じたのがハウクだった。
彼女がマークした18kmのランラップは1時間02分55秒。男子プロの中でも12番目(男子完走者17人中)にあたる走りのポテンシャルを見せている。

「世界最高のメンバー、レースで勝つことができて本当に幸せです。これまで信念をもち続けてこのエンデュランススポーツと向き合ってきました。2021年に調子が上がらず、自身のエネルギー・プログラムを見直して問題の原因を解消できたのが良かった」という優勝コメントは、この先、新たなステージへと踏み出していく期待感に満ちていた。

2位に追い上げたアシュリー・ジェントル(オーストラリア・左)は今回のレースまでPTOランキング1位。主戦場はミドルなのだが今後ロングへの挑戦はあるだろうか?

今回、残念ながら見せ場がなかったチェルシー・ソダーロも彼女たちのパフォーマンスを称賛。「信じられない(パフフォーマンスを見せた)女性たちに心からおめでとうと言いたいです。あなたたちは純粋で、このスポーツは燃えています!」

戦う舞台がある限り、アスリートたちはベストを尽くす。
そしてトライアスロンのフィニッシュエリアというのはやはり、いつ何時、どこの国でも笑顔に満ちあふれているものなのだ。

【女子上位リザルト】
1 Anne Haug (GER)    3:38:01
2 Ashleigh Gentle (AUS)  3:40:31
3 Lucy Charles-Barclay (GBR) 3:40:57
4 Emma Pallant-Browne (GBR) 3:42:20
5 Paula Findlay (CAN)   3:43:35
6 Tamara Jewett (CAN)  3:43:52

《男子レースダイジェスト》

《女子レースダイジェスト》

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