今週末の日曜日、トライアスロン界にまた新たな歴史が刻まれるかもしれない。
『フルディスタンス(スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2km)のレースで、男子7時間切り、女子は8時間を切るタイムを目指す』
昨年1月のプロジェクト発表時から、各国のトライアスロン・メデイアに注目されてきたトライアルレース “PHO3NIX(フェニックス)・サブ7&サブ8プロジェクト” が6月5日にいよいよ開催される。
(タイトル名はアルファベットの“E”を反転させ、“3”に見立てた文字を交えた造語として“フェニックス”としている)
この一大プロジェクトにノミネートされている出場者は4名。男子はクリスティアン・ブルンメンフェルト(ノルウェー)とアリスター・ブラウンリー(イギリス)。女子がルニコラ・スピリキ(スイス)と、故障したルーシー・チャールズ-バークレーの替わりとして抜擢されたカット・マシューズ(イギリス/写真下)。
以上の4人が、主催者が設定した特別ルール下でのタイムトライアル・レースを走り、全人未踏の記録に挑む予定であった。
しかしながら、直前になってブラウンリーはコンディション不良のため出場をキャンセル。その替わりに同じブリティッシュ・トライアスリートのジョー・スキッパー(写真下/2021アイアンマンUK、アイアンマン・スイス優勝)に白羽の矢がたっている。
ちなみにブラウンリーは5月7日のアイアンマン世界選手権も、レース前記者会見に出席していたものの出場を回避。今回、レースへの脚の回復が間に合わなかったようだ。
いずれにせよ、改めてメンバーを見てみるとスピリキはオリンピックのデュアル・メダリスト(ロンドン:金、リオ:銀)、ブルンメンフェルトは東京五輪と直近のアイアンマン世界選手権を制したダブルタイトルホルダー、そしてマシューズは同じく5月のセントジョージでダニエラ・リフに続き2位に入った進境著しいニューカマー。
以上からも、偉業達成に大きな期待がかかる一大イベントとなるだろう。
そんな今回の特別なレース・ルールとは、出場選手それぞれにスイム、バイク、ランを通じて自ら選んだ10人のペーサーを配することが許されている点。たとえば、スイムで競泳選手にペースメイクしてもらい、バイクではプロサイクリストとローテーションを組んで走行するといった具合だ。
つまりバイクはドラフティングOKで、ツール・ド・フランス(TDF)のチームタイムトライアルのようなレース形態になるだろう。(写真下は2019年のTDF/チームTTの模様)
実際のところ、予定していたブラウンリーのチームには直近のジロ・デ・イタリアに出場し、過去にはジロでのステージ優勝やアワーレコードの世界記録をマーク(52.937km)したこともあるアレックス・ダウセット(写真下右)。そして2019年UCIロード世界選手権・チームTT3位のジョン・アーチボルド(同左)など、『超』がつくトップ・プロサイクリストがスタンバイしており、ブラウンリー自身もスイムパートでスキッパーの泳ぎをアシスト(ペースメイク)するという。
このように、エントリー各選手が選出したチームメンバー、そしてレース戦略にも注目が集まっており、その概要を見ると非常に興味深い。
たとえばニコラ・スピキ(写真下)はレース出場が決まった早い段階からキーとなるサポート・アスリートを決めていたという。
「ランパートでは私の1998年来の仲間、レースで競い合い練習したこともあるマヤ(写真下左)に協力してもらいます。オリンピック出場歴もあり、2時間26分59秒のスイス記録保持者ですね。スイムではドイツのアンジェラ。オープンウォータースイミングの世界チャンピオンで心強いペースメーカーとなってくれるでしょう」と、旧知の、しかもこれ以上無いというスペシャルなメンバーを抜擢している。
セントジョージの激闘から4週間後のレースとなるクリスティアン・ブルンメンフェルトは、「(次のレースまでの)前半はリカバーに努め、その後はトレーニングの内容を変更していきます。具体的にはバイクの練習量を抑え、ランを重点的に。バイクではペースを保ち、ランニングでスーパーファストな走りができるようなレースプランですね」と、戦略を練っている。
そのプランニングどおり、ランのペースメーカーにはなんと、マラソン自己ベスト2時間06分34秒のランナー、そしてスイムでもハイペースで引っ張ってくれるオープンウォータースイマーをブッキングしている。
もちろん各ペーサーの中にはトップトライアスリートも多数いる。
プロになる前には理学療法士として軍隊に勤めていたというカット・マシューズは、同じくセントジョージの世界選手権で5位に入ったルース・アスレ(写真下左)やトラック選手などオール・ブリティッシュチームで臨むという。
<レースが新たなイノベーションを生み出す>
「スイムとランで削り出せるタイム以上に、バイクは重要となるでしょう。使用する機材はもちろん、運動時のエネルギー効率や空気力学など、パフォーマンスを最大化するための要素を徹底的に洗い出す。非常にエキサイティングなチャレンジに興奮しています」と、このレースに向け実際のコースでのチーム走や実践補給などをシミュレーションしていたブラウンリー。
残念ながらチャレンジリストからは外れたが、この彼の見立てにもあるように、フェニックス・プロジェクトは単なる記録への挑戦だけでなく、今後のトライアスロンの進化に大きな影響を与えることも予想される。
たとえばバイクではライディングフォームやウエア、そして新たなエキップメントなど。さらにはレース全体での補給システムといった1分1秒を削り出すためのテクノロジーが研究され、新しい概念が誕生する可能性は大いにあるだろう。
また、スピリキがスイムで着用するウエットスーツは、今シーズンに入る前から試作&デザインが進められてきたという。
速さを競い合う競技のタイムが向上し、アスリートが進化していくというのは自然な流れではあるが、このロングディスタンス史上最速を目指すレースは、これまで考えられなかったような新たなイノベーションを生みだすかもしれない。
5月のアイアンマン世界選手権で2位に入ったカット・マシューズ。フェニックス・プロジェクトのフィニッシュラインでも笑顔が見られるか
<クリス・マコーマックらがプロデュース>
このエポックメイキングなレースを主宰するのはポーランドの実業家、セバスチャン・クルチェク氏が立ち上げたフェニックス財団で、これは社会貢献を目的とした機関&基金。具体的にはスポーツ事業を介し、子供たちの健康を促進する環境の創出や、若者たちの育成プログラムを地域へ提供することなどをミッションにしており、さらにはプロトライアスリートを中心とした選手のサポート活動も行っている。
そのシンボリックなイベントとして『サブ7&サブ8プロジェクト』が誕生。同プロジェクトには、あのクリス・マコーマック(アイアンマン世界選手権2回優勝などの実績をもつ)がレース・プロデューサーとして関わっている。
メイン会場となるのはドイツ北東部、ポーランドとチェコの国境近くに位置する都市、ドレスデン郊外にある DEKRA ラウシツリンク・サーキット。ドイツ・ツーリングカー選手権、スーパーバイク世界選手権など多くの国際大会が実施されている有名なレーシング・コンプレックスだ。
開催日は6月5日、そして予備日として6月6日を設定。6月5日実施を予定してはいるが当日の天候などを考慮し、ベストな状態でレースに臨めるようフレキシブルにスタート日時を調整できるようにした。まさに1分1秒を削り出すレースに向け、最善のコンディションを目指すロケーション&スケジューリングとなる。
このような「サーキットコースを舞台にしたレコード・レース」というと、マラソン世界記録保持者でオリンピック・マラソン2連覇中の絶対王者、エリウド・キプチョゲが2017年にイタリア・モンツァのF1コースで挑戦した大会がシンクロする。彼が多数のペースメーカーを擁して非公認ながらマラソンで2時間を切るタイムを目指し、話題になったレースを記憶している人は多いのではないだろうか(そのときのタイムは2時間00分25秒。その後、キプチョゲは同形式の特別レースに再戦し、1時間59分40秒をマークしている)。
そんな注目レースのスイムは、ラウシツリンク・サーキットから約5km離れたゼンフテンベルガー湖でポイント・トゥ・ポイント、つまりターンの必要がない3.8kmのほぼ直線となるスイムコースを設定。男子の場合、7時間を切るためのスイムタイムの目安を45分とし、100m71秒平均のペースメイクをしやすくしている。
スイムアップ後、バイクをピックアップした選手たちは湖からの強い追い風を受け、街中を走る高速道路をを経て、ラウシツリンクの1周5.85 kmのオーバル・サーキットに舞台を移す。
そこでのバイクパートでは、男子では時速45〜50km平均のペースが目安となり、さらにその後のランで1km4分を切るスピードで押し切る走力が必要となる。
当然のことながら、今回の特別なレースルールにより、フィニッシュタイムは公認の記録としては扱われない。
しかし主催者はこのイベントが、タイムのみならずトライアスロンをさらなるメジャースポーツとしての注目や報道をもたらし、アスリートの進化に寄与する科学的データの蓄積などにもフォーカスしているという。
世紀のレースは日本時間の6月5日、午後2時から女子、3時から男子がスタート。ライブストリーミングは大会HP( www.sub7sub8.com)、そしてフェイスブック(www.facebook.com/pho3nix)で視聴可能とのこと。
プロジェクト達成のめやすとなる時刻は午後10時。
果たして歴史的瞬間を見ることはできるだろうか。