チェルシー・ソダーロ / トライスリート、母親、そしてフロントランナーとして。

コラム

昨年10月のアイアンマン世界選手権(ハワイ)を征し、一気にスターダムを駆け上ったチェルシー・ソダーロ(アメリカ)。初出場&初優勝の快挙は、彼女の愛娘の出産から18カ月後の出来事でもあった。夫の献身的なサポートを受け、想像し難いハードルを超えた先につかんだワールドチャンピオンのタイトル。

カルア・コナでのチェルシー・ソダーロの走りは、すべてのアスリートたち、それらを支える人たちをインスパイヤーするパフォーマンスだったといえる。そんなチーム・ソダーロの挑戦の軌跡を、現地ハワイそして コリンズ・カップ での取材、さらには Professional Triathletes Organization(PTO)のドキュメンタリーなどをもとにひも解いていく。(※写真をタップするとフルサイズで見られます)

彼女が子どもを授かったことを知ったは2020年。トライアスリートとしてのキャリアのハイライトを、これから迎えようというタイミングだった。

エリートランナーからトライアスリートに転身し、結果を残し始めたのが2017年、28歳のとき。もともとのポテンシャルの高さからか一気に才能を開花させ、2018年にアイアンマン70.3で初勝利、翌年には70.3大会3勝を挙げるまでに。

その後、コロナ禍に快進撃の場を奪われるものの、さらなる飛躍を目指す中で訪れた吉報だった。

その一方で、出産後の彼女のキャリアをどうするのか? そこでトップアスリートとしての復帰を強くあと押ししたのが、夫のスティーブ・ソダーロだ。
妊娠中は、バイクのローラートレーニングだけではなくトレッドミルでのランニング、ときには郊外での軽いジョギングなども交えながら、レース復帰に向けてのプランを早々から遂行。
「(ハワイまでの)18カ月間、何度もトライアスロンをやめようかと考えましたが、彼がいてくれたこそ続けることができたのです」(チェルシー)

愛娘、スカイ(ソダーロ)を授かったあとも、体調に注意を払いつつ、出産後間もないうちからローラー台練習で体力リカバリーに努める姿も見られた。

一方で、育児とトレーニングとは両立し難いという現実にも直面する。

スカイの食事の合間に時間がとれれば、30分でもローラー台に乗る日々の繰り返し。復帰のレースプランを組むにも、大きくスケジュールは制限されてしまう。
「人生でもっとも困難な時期でした。彼女(スカイ)の食事がうまく行っていなかったときもありましたし」(ソダーロ)
もちろん、こういったことは新たな家族が増えた夫婦なら誰もが直面することだろう。彼女もその事象を素直に受け止めるよう心がけていたという。

しかし、トップアスリートに復帰するためには、立ちふさがる壁が多かったのも事実。肉体的、そして精神的にも健康な状態でレースに臨むため、チーム・ソダーロは努力を惜しまなかった。

復帰プランでの最初のレースに選んだのが2021年6月、アメリカ・コロラド州ボウルダーで行われたアイアンマン70.3。結果は6位だった。
わずか4カ月半前の出産を経ての復帰に喜するも、パフォーマンス的には納得できず課題も散在。ワールドクラスに返り咲き、勝利するのにはまだまだ現実的ではないとも感じる。

それは単なるフィジカル面だけでなく、メンタルな部分とのバランス。スポーツに必要なマネージメント力の試練でもあった。トップスアリートを目指す中で、心と身体のバランスを高めていくには難しい面が多すぎたようだ。

「プロとしてのキャリアと母親を同時にこなすのは本当に難しい。ボウルダーのレースのあと、8月のコリンズ・カップ2021の前には心の不安定さを抱え、産後のうつ病とも戦っていました」
このコリンズ・カップに出場したあと、彼女は一旦レースの舞台から退いている。

そして再びレースシーンに帰ってきたのが2022年の3月。新たな生活形態を日常に取り戻せたからか、6月のアイアンマン・ハンブルクで2位(アイアンマン・ハワイの出場権獲得)。7月のPTOカナディアン・オープン(ミドルディスタンス)3位と、その後の彼女は再びトップへのステップを駆け上がっていく。

ところで、このPTOカナディアン・オープンのレース後インタビューで、彼女は多くの女性アスリートを応援するコメントを発し注目を集めている。
「私たちは30代半ばから後半にかけて、ブロアスリートとしてのピークを迎えます。ですので、このスポーツを続けることができるチャンスが必要なのです。それさえあれば世界クラスのアスリートになるか母親になるか、そのどちらかを選択しなければならないという必要はありません」

また、ここでPTOが実施する マタニティ・サポートプログラム(※PTO世界ランキング・アスリートが受けられるサポートシステム/下段参照)についても言及している。
「このポリシーについて知ったのは妊娠5、6か月後のときでしたので、私の家族計画の決定には影響を与えませんでした。しかし、このシステムを聞いたとき感極まりました。女性がプロアスリートとしてのキャリアを続けられる一助になるでしょう。そしてさらなるサポートする方法が必要なのも事実です」

順調な復帰を遂げていたチェルシーだが、その後また試練が訪れる。カナダのレース後にインフルエンザにかかり、その後、自身2度目のコリンズ・カップを迎えるも十分な結果は残せなかった。
「あの日は本当に(結果が)ひどい一日でした。私はただ、娘と一緒にスロバキアへ旅行をしに来ただけのように感じ、失望を隠せませんでした」

ようやく動き出した時計の針
コリンズ・カップのあとチェルシーはハワイの世界選手権に向けて、現地で2週間のトレーニングキャンプを実施。しかしこのとき、彼女は10月のハワイ出場をキャンセルする寸前の状態だったという。

「最初の1週間は全然ダメでした。でもその翌週から調子が上がってきていることが実感でき、キャンプ後、カリフォルニアに帰ったあとも、カチカチとハワイに向けての時計が音をたてて動き出しているような感覚があった」
「一方で、調子がいいので行けるのではないか? という思いからレースウィーク中は緊張感を拭えなかった。食事は喉をとおりにくかったし、よく眠れませんでした。最高に良いか、悪いか。そのどちらか極端なレース結果になるんじゃないかと思った」とも。

果たしてレース当日はバイクで好位につけたのち、ランラップ1位の2時間51分45秒をマークして逆転勝ちを収めたのは周知のとおりだ。

10月のハワイにて。フィニッシュのあと2位のルーシー・チャールズ-バークレーと健闘を称え合う

レースで勝てると思ったのはどのタイミングだったのですか? というインタビューに、

「正直、フィニッシュラインのことは考えられませんでした。でもエナジーラボの折返したあと、パラニ・ロード(フィニッシュ地点へと続く坂道)に入るまでの10kmで、すれ違う多くの女性エイジグルーパーから声を掛けられたんです」
「スカイのために頑張れ! あなたならできる。あなたはお母さんよ! と」
「これまで、彼女(スカイ)は面白がって No. No. No. というのが口癖でした。でもレースの前、私の父が彼女に Yes.Yes.Yes. というように教えていたのを思い出したんです。リビングで一緒に踊るようにして」
「私はレースの最後1時間、Yes.Yes.Yes.Yes.Yes.Yes. と自分へ言い続けていました。あなたならできるとポジティブに。そんな自然な感情が、私に最高の一日を与えてくれたのだと思います」

フィニッシュまでの花道、ソダーロは最後500m地点で見た、スポンサーや彼女を支えてきた人々の応援が忘れられず、また彼らを喜ばすことができて本当に幸せを感じたという。
「私たち(家族)をサポートしてくれているという感謝は言い表せません。だから努力も続けられてきました」
「そして、何よりも私をサポートしてくれたのが私の家族です。同じ喜びの瞬間を皆で迎えられたのが私の誇りでもあります」

ハワイのフィニッシュ地点にて。彼女たちの両親もチーム・ソダーロの一員だ

出産前のトレーニングについて、感想を聞かれたスティーブは、「彼女は妊娠中にできる限りのハードなトレーニングを行っていました。カムバックしたらまたトップに戻れるように。いや、正直なところもっと強くなると確信していました」と答えている。
彼もチェルシーをポジティブに導いていたひとりなのだ。Yes.Yes.Yes.と。

昨年ハワイで優勝してから、チェルシーをとりまく環境は劇的に変化した。
チーム体制が代わり、バイクやシューズなど新たなスポンサーも名を連ねる。今年は早々に、2023シーズン前半のロングディスタンスレースのハイライトとなるであろう、6月のチャンレジ・ロス(ドイツ)参戦を発表。その一挙手一投足が注目されることになる。

これまで以上のステージで真価を求められるのがトップアスリートの宿命で、さらなる結果が問われる年にもなるはず。
しかし、チーム・ソダーロなら乗り越えていけるだろう。

(※PTO マタニティ・ポリシー)Professional Triathletes Organization(PTO)ランキング・アスリートが受けられるサポート。PTO世界ランキングに応じて、妊娠してから出産後6カ月、合計で最大15カ月の間金銭的サポートが受けられるというシステム

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