宮塚英也が『トライアスロン・アナリスト』として、独自目線で注目レースを案内する。
(写真は1994年アイアンマン・ハワイ時のもの/©Akihiko Harimoto)
今回初めてアイアンマン・ワールドチャンピオンシップがハワイ以外のアメリカ本土、ユタ州セントジョージで行われるわけだが、開催場所が変わっても“世界一”を決めるレースであることには変わりない。レースを制した者はその年(今年は10月のハワイの2回開催となるが)のアイアンマン世界チャンピオンとして、永劫にその名が刻まれることとなる。
選手にその可能性があるのであれば、全力で勝負していくのがアスリートというものだ。そういった意味でも10月のハワイ同様、セントジョージのレースを注目して見ていきたい。
まず気になる選手といえば、男子ではやはり東京オリンピック金メダリストのクリスティアン・ブルンメンフェルト(写真下)だろう。彼は五輪チャンピオンに輝いた同じ年に、アイアンマンの世界記録をマーク。これはすなわち、今のトライアスロン界で一番強く、そして一番速い選手であることを意味しており、彼を中心に今回のレースは進んでいくと予想される。
ブルンメンフェルトが昨年12月のアイアンマン・コスメルで叩き出した 7:21:12といタイムはまさに驚異的だ。ひと昔前のアイアンマンでは、有力選手同士のバイクの駆け引きや、けん制などが行われることもあったが、彼の記録を見る限りそんな戦術は通用しないレベルといえる。
今回の男子のレースではヤーン・フロデノやパトリック・ランゲが、故障などで出場をキャンセル。彼ら世界チャンピオンのタイトルホルダーとのガチ勝負が見られないのは残念だが、やはりブルンメンフェルトが今回のレースの中心であることは間違いないだろう。
そして、もうひとり注目したい選手が、トップ・プロサイクリストとして有名なキャメロン・ワーフ(写真下/オーストラリア)だ。
優勝争いに絡んでくるかどうかまでは読めないが、ヨーロッパを中心に活躍中の、バリバリの現役プロサイクリストがアイアンマン世界選手権に有力選手として挙げられる(今年はレース前プレスカンファレンスに出席している)こと自体、10年前までは考えられなかった。しかし、ワーフは実際にそれをやって退けているのである。
彼は、ツール・ド・フランスの個人総合優勝など多くのメジャーレース覇者を輩出している名門チーム、イネオス・グレナディアーズと契約しており、過去にはジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャなどグランツールの出場実績もある。
直近の4月には、欧州クラッシクレースの中でも随一の過酷さを誇る「パリ〜ルーベ(写真下)」に出場。レースは同じチームのエースが優勝し、ワーフはそのアシストとして十二分な役割を果たした。もちろん自身も完走している。
「北の地獄」と評されるパリ〜ルーベはヨーロッパのワンデイレースの中で、最も高いステータスのレースのひとつである Photo/A.S.O. Pauline Ballet
アメリカ大リーグで大谷翔平選手の二刀流が注目されているが、それと同じくらいのレベルで自転車とトライアスロン競技を行っている選手がいる。そのこと自体が驚きであり、このアイアンマン・ハワイのバイクレコードホルダー(4:09:06/2018年に樹立)の、ユタでの走りにも注目したい。
女子のレースでは、実績ナンバーワンでいえばダニエラ・リフだが、ここのところの不調を考えると優勝争いは厳しいかもしれない。アイアンマンでは年齢関係なく、“強い選手は強い” わけだが、それでも勢いは大切で、リフもかつての勢力が取り戻せるかが注目となる。
一方で、今アイアンマンで勢いがあると感じるのは、前回ハワイ優勝のアン・ハウグ(ドイツ/写真下)と昨シーズン、アイアンマン70.3世界選手権、同70.3欧州チャンピオンのルーシー・チャールズ-バークレーの2選手だ。
今回、チャールズ-バークレーはケガで出場できないが、いずれにせよ女子に関しては誰が勝ってもおかしくないし、このレースを制した者こそが今一番勢いのある選手ということだろう。
【 キーワードは “ボーダレス化” 】
周知のとおり、今年は1年内に2回のワールド・チャンピオンシップが行われるわけだが、格の上下というものはない。先述のとおり、アイアンマン・チャンピオンシップの覇者として歴史に名を残すため、多くの選手が両レースにチャレンジしてくるだろう。
ただ、選手によってはアイアンマン世界チャンピオンだけがすべてではない、というケースもあるようだ。たとえば、近年でいうと高額賞金で注目を集める PTOシリーズ、そしてコリンズ・カップ や、アメリカをベースにネットワークを広げている クラッシュ・シリーズ など、これまでになかった新たなフォーマットやコンセプトの大会が誕生。選択肢が増え、選手の活動フィールドのボーダレス化が進んでいることが背景にあるのだろう。
ここのところのトライアスロン界は、オリンピックディスタンスで実績を残した選手がアイアンマン70.3、そしてフルディスタンスのアイアンマンにチャレンジするケースが増えている。完全にショートからミドル、そしてロングディスタンスへの転向組もいれば、幅広く種目をカバーしている選手も多いのが現状だ。
一方で、チャールズ-バークレー(写真上)が、昨年11月にワールドトライアスロン・チャンピオンシップシリーズのアブダビ大会(距離はスプリントディスタンス)に出場したように、ロング&ミドルを主戦場にしている選手がショートにチャレンジするケースもある。
これらからも、以前のようにショートの選手やロングの選手とすみ分けすることなく、もはや同じトライアスロンであり、同じトライアスリートとして見るべき時代になっているのではないだろうか。
これはショートであれロングであれ、“トライアスロンに必要な能力” は同じということを示している。
ひとくちに「ショート」といっても、オリンピックディスタンスであれば2時間前後のレースを行うわけで、これはまぎれもなくエンデュランススポーツだ。陸上競技の短距離走と長距離走のような違いでは決してないだろう。
この “トライアスロンに必要な能力” を大きく分けると、心肺機能の持久能力が優れていることと、スイム、バイク、ランのスキルが優れていることの2点が挙げられる。
まずスキルについては、トライアスロンが発展して行く中で各選手のレベルは格段に上がっている。昔のロングのレースでは多少スキルが未熟であっても、スタミナがあれば上位に食い込めたという時代もあったが、現在では3種目のスキルが劣る選手は、もはやトップに食い込むことは不可能だ。
つまり今のトライアスリートはショートであれロングであれ、世界のトップに入るためには3種目の技術が高いことが大前提となる。
それと運動生理学的に持久機能が優れていることも必要だ。これは具体的にいえば AT値(アナロビックソレッシュホールド)が高いことが最も重要となる。
いくら根性があっても、精神力が優れていてもこのAT値が低ければ2時間のレースであろうが、8時間のレースであろうが、レースに勝つためのトップスピードを維持することはできない。
そういった点でも、ブルンメンフェルトやグスタフ・イデン(写真上)などのノルウェー・チームは、徹底した科学的アプローチで、このAT値を高めるトレーニングに取り組んでいることは容易に想像できる。
さらに、今後のトライアスロン界を占う上でも、東京五輪に向けて一気に力を付けてきたノルウェー勢の動向は気になるところだ。
オリンピックで金メダルを獲得し、さらにアイアンマンの世界記録を叩きだしたブルンメンフェルトが、今回のセントジョージ大会で偉業に挑む。その結果いかんによっては、ショートとロングのレースのボーダレス化が進み、トライアスロンがますます面白くなっていく予感がする。
女子のトップ選手では、東京五輪チャンピオンのフローラ・ダフィ(写真左)が、アイアンマン世界選手権に招待され今後の動向に注目が集まったり、ロンドン五輪チャンピオンのニコラ・スピリグが来月6月にフルディスタンスのレースにチャレンジするなど、男子の流れと共通する点も感じる。
このような、トップトライアスリートたちの動向も踏まえつつ、今回のアイアンマン・ワールドチャンピオンシップを見てみると、また新たな発見ができるかもしれない。
【レーススタート時間】日本時間の午後9時15分のプロ男子から順次スタートする
【ライブストリーミング】 IRONMAN now(フェイスブック)で視聴が可能
<著者プロフィール> 宮塚英也(みやづか ひでや)
1980年代中盤から2002年の現役引退まで日本トライアスロン界のトップを走り続け、アイアンマン・ハワイ(アイアンマン世界選手権)で2度トップ10入りするなど世界を舞台に活躍。2002年に現役を引退した現在も、その卓越したトレーニング理論や分析力、コーチングなどでトップを走り続けている。