宮塚英也が『トライアスロン・アナリスト』として、独自目線で注目のレース結果を分析する。レースの事前コラムは こちらをタップ して読むことができます。
(写真は1994年アイアンマン・ハワイ時のもの/©Akihiko Harimoto)
今回のセントジョージでのアイアンマン・ワールドチャンピオンシップの結果を見ると、男女ともやはり“強い選手”が勝ったという印象だった。
勝負の世界では「勝った者が強いのであって、必ずしも強い者が勝つわけではない」ということばがある。もちろんそうなのだが、アイアンマン世界選手権では過去の優勝者をみても、元々それだけの力がある選手ばかりで、レース展開に恵まれたとか、たまたま勝つことができたということはないと私は考えている。
そういう意味でも、今回優勝したクリスチャン・ブルンメンフェルト(写真下)にしても、ダニエラ・リフにしても本当に強かったし、勝つべくして勝ったというように感じた。
【本物の強さを証明したレース】
まずは男子のレース。事前の私のコラムでは「けん制や駆け引きは通用しない」と書いたが、今回は “駆け引き” は存在したものの、“けん制” は無かったように思えた。その駆け引きの部分とは、スイムを上位で上がった5選手が、後ろから来るであろうブルンメンフェルトや、キャメロン・ワーフに追いつかれないようバイクで積極的に逃げたこと。これで俄然レースは面白くなった。
まずワーフ(写真下)については絶対的なバイクの力があるわけで、上位5人のパックは、お互いけん制し過ぎてワーフに追いつかれ、そのまま逃げられることを嫌ったのだろう。さらには、優勝候補最有力のブルンメンフェルトに追いつかれて、ラン勝負に持ち込まれたら勝ち目が無くなるとも5人は考えたはずだ。
その結果、トップグループ5選手はワーフとブルンメンフェルトに約4分の差をつけてランをスタートすることになった。
この4分差が、私的には勝負に大きな影響を与えたと考えている。4分差は決して小さくはないが大きくもない。前を走る5人にしてみればワーフ対策としては大成功で、仮に彼に追い付かれたとしても、十分ランで勝負できると思っていたはずだ。
一方で、ワーフが勝つためにはバイクでトップに追い付き、さらに後続を引き離して単独でランに移り、逃げ切ることが条件と考えていただろう。そういう点で、ワーフはバイクラップは1位だったものの、トップでランに入れなかったことで優勝の可能性は小さくなってしまった。
だからといって今回のワーフのレースが色あせるものではなく、私個人としては素晴らしいチャレンジだったと思う。プロのサイクリストという立場で、大半を自転車競技に専念しなければならない環境の中、スイムパートを52分で泳ぎ、ランを3時間19分で走った(写真上)ことは、『凄い』といった簡単な表現では表せないほどのパフォーマンスだと思う。
彼にはぜひ今後もこのチャレンジを続けて欲しいし、いつかバイクで大きく逃げ、ランで後続に追い上げられながらも逃げ切って勝つレースを、ワールドチャンピオンシップで見てみたいものである。
一方で、本命のブルンメンフェルトに対して、4分の差は前を走っている5選手には「もう少しアドバンテージが欲しかった」と思う差であっただろう。ブルンメンフェルトは昨年のアイアンマン・コスメルで、ランを2時間35分で走破しており、この差で逃げ切ることは厳しいと感じていたはずだ。
それもあってか、ランに移ってニュージーランドのカイル・スミスとブレイデン・カリー(写真上)の2選手が積極的に飛び出し、完全に逃げ切り勝負に出た。そのときのふたりの映像を見ると、ショートを思わせるようなスピードで、決してロングのレースとは思えない走り出しだった。これは、これから先、ロングのさらなるスピード化を予測させるような走りだとも感じた。
その後、スミス(写真下)は失速してしまったが、カリーは逃げに逃げて「もしかしたらそのまま優勝するのでは」と思わせるような走りで、レースを大いに盛り上げてくれた。
優勝したブルンメンフェルトは、スイムをトップと約2分差の8位、バイク終了時には約4分差の7位でランをスタート。ラン18km地点で2位に浮上し、この時点でトップのカリーとの差を3分差までに縮め、完全に優勝を視野に入れていた。
そしてトップを走るカリーが後半ペースを落とし、マイペースで走っていたブルンメンフェルトは約30km地点で彼をとらえてトップに立ち、その後もペースダウンすることなく優勝した。
終わってみれば2位に入ったライオネル・サンダースに約5分の差を付けての圧勝で、ブルンメンフェルト(写真下)が本物の強さを証明したレースだったと言えるだろう。
今回の男子のレースは、私はブルメンフェルトを優勝候補の筆頭に挙げていたが、もし負けるとしたらバイクが要因になると見ていた。スイムは大きく出遅れることは考えられないし、ランは今回出場選手の中で突出した力を持っていることを鑑みると、ポイントとなるのはやはりバイク。その日の調子だったり、ペース配分のミスによっては負けることも考えられた。
ところが当のブルンメンフェルトは冷静で、無理にバイクでトップを追うことはせずマイペースで走り続けた。彼の約2分後ろでスイムを終えたワーフに80km地点で追い付かれたものの、その後はワーフに離されることなく、同じパックでバイクをフィニッシュしている。この時点ブルメンフェルトの優勝の確率はかなりのパーセンテージで高くなっていたといえる。
【リフが見せた “優勝する条件” 】
女子のレースは、事前の私の予想では誰にでも優勝のチャンスがあるものの、一方でダニエラ・リフは2019年以降の調子から勝つのは厳しいと見ていたわけだが、完全にその予想を覆させられた感じだ。
アイアンマン世界選手権では過去の優勝者で実力者であっても、一度勢いを失い、そこから再びトップに返り咲く難しさは並大抵のことでないはず。その偉業を成し遂げたリフには感服である。
リフはスイムをトップから約4分差の4位でフィニッシュ。バイク60km地点ではすでにトップに立ち、その後も2位以下を大きく引き離し、バイクフィニッシュ時では後続に7分以上の差を付けていた。
リフのランの走力からすると7分のアドバンテージは大きく、無理せずマイペースで走り続ければ、優勝の確率はかなり高いと感じていた。
結果、ランでも大きく崩れることなく終わってみれば2位以下に9分近くの差を付けての圧勝。私が優勝候補のひとりに挙げていた、2019年チャンピオンのアン・ハウグ(写真上)はランで追い上げたもののバイクでの差が大きく3位に終わった。
今回の女子のレースは、そのバイクの力の差が勝敗を分けたと思う。
過去、アイアンマン・ハワイで複数回の優勝経験をもつポーラ・ニュビーフレザーやナターシャ・バドマンにしても、絶対的なバイクの強さを持っていた。リフも同様で、そういう視点でもアイアンマンの強さは納得できるし、複数回のアイアンマン・チャンピオンになれる選手だということを再び証明できたのだと思う。
バイクで好走を見せ、ダニエラ・リフに続く女子2位に入ったカット・マシューズ
今回のリフの優勝は、やはり女子のレースにおいてはバイクの走力が勝敗に大きく影響することを示していると感じた。それに対して男子のレースは、もちろんバイクの力が重要であることに変わりはないが今回、女子ほどバイクで大きな差が生まれなかったことを考えると、今後のレースも最後のランの力が勝敗のカギを握ることになると思われる。
つまり、アイアンマン世界選手権で優勝するためには、男女とも高いレベルの3種目の力がベースにあり、その上で女子はバイクのアドバンテージ、男子はランでライバルたちを上回る力が必要ということだ。
これは、アイアンマン世界選手権の過去の優勝者の実績からも読み取れるだろう。
【日本人はどうアプローチすべきか】
さて今回のアイアンマンのチャンピオンシップ・レースにも、残念ながら日本人がプロカテゴリーで出場できる選手はいなかった。
やはり世界最高峰のレースに日本人が出ているのと、出ていないのとでは観る側の楽しみが大きく違う。西洋が中心の自転車競技やサッカーなどのスポーツにおいて、日本人がその中で活躍する姿を見るのはやはり楽しいし、我々に勇気を与えてくれるだろう。
そういう意味でアイアンマンでも、優勝争いは厳しくても、こういった同じ土俵でレースをしている日本人の姿を見たいものである。
ただ現実には、日本の選手がそのステージに立つこと自体、今は厳しい状況にある。しかし、ただただ厳しいと言っているだけでは何も変わらないので、今後アイアンマンで日本人が世界と対等に戦えるようになるために何が必要かを考えてみた。
まず日本のトライアスリートで五輪を目指す選手は多いが、アイアンマンのトップを目指す選手は少ないのが現状で、その中からアイアンマンのチャンピオンシップに出場できる可能性も低くなるのは当然である。なので、まずはロングを目指す選手が増えることが第一条件で、そのための環境を整えることがポイントとなるだろう。このあたりについてはJTUにもさらなる策を講じて欲しい。
次にチャンピオンシップに出場するためのトレーニングについて。
今回のブルンメンフェルトの優勝からも分かるように、世界のトライアスロン界はロング、ショートといった選手の活動フィールドの専門性がなくなってきている。
つまり、以前のようにショートの選手やロングの選手とすみ分けすることなく、もはや同じトライアスロンであり、同じトライアスリートとして見るべき時代に進んでいるといえる。
ショートでもロングでもトライアスロンに変わりなく、“トライアスロンに必要な能力” は同じ。このトライアスリートに必要な要素とは何かを今一度考え直して、トレーニングを組み立てる必要があるだろう。
「ショートとロングは別」「ショートの選手はロングのレースに出たらダメ」などと言っていては、世界の流れからますます置いて行かれることになる。
そのためにも指導者は、これまでの経験に基づいただけの指導ではなく、いろいろな分野のスペシャリストと連携してコーチングする必要がある。そして、選手は自ら考え、コーチやそのスタッフと意見を交換し、可能性のあるものにどんどんチャレンジして行かなければならない。
その中から、ただ西洋のトレーニングを真似するのでなく、東洋人には東洋人に合ったトレーニングが見つけ出せるはずだし、それを実現してほしい。
<著者プロフィール> 宮塚英也(みやづか ひでや)
1980年代中盤から2002年の現役引退まで日本トライアスロン界のトップを走り続け、アイアンマン・ハワイ(アイアンマン世界選手権)で2度トップ10入りするなど世界を舞台に活躍。2002年に現役を引退した現在も、その卓越したトレーニング理論や分析力、コーチングなどでトップを走り続けている。
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