ノルウェー旋風再び / ソールヴァイ・ルーセットが劇的勝利を挙げる【アイアンマン世界選手権コナ・詳細リポート】

IM 世界選手権

何というレースだろう。
勝利をたぐり寄せたと思えたコンテンダーがひとり、さらにもうひとりが脱落し、自身のペースに不安を抱きならも貫いたノーウィージャンが驚異の逆転劇を演じてみせた。

初めてのハワイ挑戦にしてアイアンマン3戦目となるソールヴァイ・ルーセット(ノルウェー)の戴冠。
『一体誰がこの展開を想像しただろうか?』といった表現が陳腐にさえ聞こえる、息をのむようなな結末に、一番驚いているのは優勝した本人だったのではなかろうか。

スタートから終始好位につけ、ランの残り4kmを切って初めてトップに立ったルーセット

「ええ。まだちょっと頭の中で(起きたことを)整理するのが難しい状態です」と、フィニッシュ後のインタビューに素直に答えるルーセット。
バイク途中から、前を行くルーシー・チャールズ = バークレー(イギリス)とテイラー・ニブ(アメリカ)に続く3位にジャンプアップ。(両名と)6〜7分差のポジションをキープするも、「正直『この位置でダイジョウブなの? 無謀じゃない?』と自問した瞬間もありました」

ただ、バイクの調子はこの上なく良かったとのことで、ルーセットは「このままのペースで上手く行ければ、もしかしたら勝てるかもしれない」という考えもよぎっていたという。

交錯するプランAとプランB

大一番となるレースの勝利を目指すとき。有力選手の誰しもがその展開を事前にイメージするだろう。
理想は目標に到達するまでの最善ルート。つまりは “プランA” だ。
それを完遂できれば宿願を叶えることが可能なのだろうが、ときに、いや往々にしてトライアスロンは運命の女神、気まぐれに翻弄されるもの。
そのとき競技者たちは別の手順を模索する。いわば “プランB” と表せるだろうか。

スイムをトップでフィニッシュし、予定通りのスタートを切ったチャールズ = バークレー

今回、優勝候補のひとりだったルーシー・チャールズ = バークレーのプランA は一昨年のレースの再現だったであろう。
スイムから一度もトップを譲ることなくスピードレースで決着をつけるーー。
実際、49分26秒で最初にスイムアップすると “最速マーメイド” の愛称どおりトップをひた走る。

しかし途中でバイクボトルを指定区域外に落とすトラブルに見舞われ、1分間のペナルティを課せられることになる。
ただ、復路に設けられたペナルティボックス内ではいたって冷静に待機。補給をとるなどして態勢を整えながら “プランB” を練っていたことだろう。

その内容は、替わってトップに立った強力ライバルのひとり、テイラー・ニブを射程内に収めつつラン勝負に持ち込むという展開だったはず。
実際、バイク終了時のニブとの差は1分30秒。ペナルティを経てコースに復帰した時点の差をそのまま保った状態で T2 を飛び出していった。

対するニブは逃がしたくなかったチャールズ = バークレーをバイクでパスした上、逆に1分以上の差をつけてラン勝負へ。勝利への最短距離、彼女の “プランA” が描かれていたことだろう。

バイクラップのトップを刻み順調にT2へと向かうテイラー・ニブ。2023年大会の4位から2年越しの夢の実現へとひた走る

ただこのとき、トップふたりのハヴィ(バイクの折り返し地点)通過が、一昨年マークされた大会記録のペースを2分上回っていたということは知る由がなかった。
加えてチャールズ = バークレーは1分のタイムペナルティを背負っており、4時間31分00秒(平均時速40km)という、トップのバイクラップをマークしたニブとともに、理想としていたプランと実際のペースとの乖離が生まれてしまっていたのではないか。
これは結果論となってしまうのだが。

まさかのふたりの失速

レース前記者会見で、「これまでで最も体調が良く(レースに臨め)、今シーズンはランの練習も継続的に続けられています」と語っていたチャールズ = バークレー。
ここ2年は脚部の故障に悩まされランニングに不安を抱え続け、さらに昨年はセリアック病(グルテン摂取に対して身体が過敏に反応し、自己免疫力に異常をきたす病気)を患っていたという。

そこからリカバーに集中し、これまでにない手応えをもってレースに挑んでいた彼女は、ラン10km地点を過ぎたパラニロードの上りで先頭を行くニブをパス。
クィーンK ハイウェーに入り “プランB” の仕上げに取りかかるが、ギリギリで折り合いをつけたであろう計画は、この日に限ってはリスクが大きかったようだ。

ランの中間点を迎える前に突如彼女は失速(写真上)。その後何とか粘ろうとする姿勢を見せるが、強靱な精神力が必要とされるエナジーラボへの往復区間でレースを去ることとなった。

これまでのハワイの歴史を振り返れば、枚挙にいとまがないリタイアのシーンかもしれない。しかし、その光景は何度見ても痛ましいものに変わりはなく、このレースの難しさを目の当たりにさせるものだっった。

替わってトップに立ったのはもちろんテイラー・ニブ。
後続のルーセットとは約6分の差があり、その足色からも、彼女の行く先にビクトリーロードが待ち受けていると多くの人が思ったはずだ。

ずっと憧れていた夢の舞台での勝利ーー。
これまで数々のビッグレースレースを経験し、タイトルを獲得してきたテイラー・ニブをもってしても、否応なく気持ちの高まりは抑えられなかっただろう。

子どものころ、家族でハワイのレースの模様をテレビで観戦し、いつかは選手として舞台に立ちたいという思いを抱いていた彼女。
そのとき、『ヘリコプターが追う先にいる選手がトップなのね!』と胸を躍らせていたニブにとって、今まさに自身がコナの主役として先頭を走っているという心境はいかなるものだったろうか?

しかし、彼女もフィニッシュまで残り3.5km地点の給水所で立ち止まってしまう。
以降は脚が思うように前へ出なくなり、上体はふらつき、ついにはコース脇に座り込む。そのあまりに急な展開は、併走していたメディア戸惑うほど緊迫した状況だった。

この島で行われるアイアンマンというのはかくも難しく、非情なものなのか。

壮絶なトップ争いの後方で、ランスタートから怒濤の追い上げを見せて2位を獲得したカット・マシューズ(イギリス)。たたき出したランラップは 2時間47時間23秒で(ランの)レコードタイムを更新。ルーセットにわずか35秒差まで詰め寄った
「自身にとっては非常に浮き沈みのある一日でしたが、そんな中、全力を尽くせたことを本当に誇りに思っています。優勝したソルヴィ(ソールヴァイのこと)の忍耐力、そしてバイクでの力強さは信じられないほど素晴らしかった。本当におめでとうと言いたいです」(マジューズ)

ノーウィージャン・ヒロインの誕生

「ルーシーとテイラーをパスするときは本当に申し訳ない気持ちでした。ふたりに大事がないことを願っています」
フィニッシュ後にルーセットが語った思いは、レースの難しさ、そして怖さを身をもって知ったからこそ湧き出た感情なのだろう。

そんな彼女が愚直なレース運びで、選ばれし者たちの頂点に立ってみせた。
「ランは最初から本当に苦しくて、フィニッシュできるのかさえ分かりませんでした。でも途中で調子が上向いてきていることを感じ、そこからは冷静さを保つように努めるだけでした。(ランで調子が上向くなんて)信じられないという気持ちでしたので」

思い返すと、9月にフランス・ニースで行われた男子のアイアンマン世界選手権ではノルウェー勢が表彰台を独占(優勝:カスパー・ストルネス、2位:グスタフ・イデン、3位:クリスティアン・ブルンメンフェルト)。
ノーウィージャンが世界を驚かせたシナリオは、1カ月後、再びハワイの地で再現されたわけだ。

その一方で、
「今回こちら(コナ)に来て、『(ニース世界選手権で)男子はノルウェー勢が表彰台を独占したけれどもどう思いますか?』と良く聞かれるのですがプレッシャーは感じていません(笑)。結果よりも、“その日、自分にできることをすべて出し切る” というのが目標ですから」とレース前に語っていたルーセット。

そのひたむきな姿勢が再び世界を震撼させ、そして何よりも本人が驚きを抑え切れない快挙を生み出すことにーー。
まさにアイアンマン史の記憶と記録に刻まれる、特別な一日になったといえる。

3位に入ったローラ・フィリップ(ドイツ/左)、優勝のルーセット、そして2位のカット・マシューズ(右)。レース前、最も注目を集めていたフィリップはバイク、ランで期待されたような走りを披露できなかったが最後まで粘りを見せてくれた。
「本当にタフなレースでした。バイクでは持てる力の全てを出し切ろうとしましたが思うようにいかなかったし、ランに入ってすぐに『今日は私の日ではなかったな』と感じました。でも、自分自身に集中してフィニッシュできたことに満足しています」(フィリップ)

期待膨らむ2026年大会のディテール

周知のとおり、今回がアイアンマン・ワールドチャンピオンシップ男女別開催としての最後のレースとなる。
再びハワイで男女同日に実施される2026年大会は多くの人が期待し、待ち焦がれるイベントとなるだろう。
一方で、その具体的な競技プログラムやスケジュールリングには緻密な検証が必要だ。
全体参加人数は増える方向にあるだろう。そして何よりも、せっかく3年間も男女別の地でそれぞれの世界選手権を行っていたのだから、そこで得たノウハウ、生まれたイノベーションを可能な限りフィードバックすべき。
そうでなければもったいなさすぎるといえるだろう。

たとえばプロレースの見せ方。
今回、大会前の記者会見で、ローラ・フィリップは「女子のレース(だけ)がライブでフォーカスされるのは特別のことなのです」とコメントしているが、振り返ればこの間、女子プロレースへの世界のトライアスロンメディアの注目度は確実に上がっている。ここのところの飛躍的な記録の更新、レベルアップとも無縁ではないだろう。
そうやってレース全体がさらに面白くなれば、よりファンや競技者が増え、好循環も生まれてくる。
これらは指摘されるまでもなく、すでに大会主催者はその具現化に取り組んでいるのだろうが、大きな期待を持って2026年10月10日を待とうではないか。

【プロ女子上位リザルト】
1位 Solveig Løvseth (🇳🇴NOR) 8:28:27 
2位 Kat Matthews (🇬🇧GBR) 8:29:02
3位 Laura Philipp (🇩🇪DEU) 8:37:28
4位 Hannah Berry (🇳🇿NZL) 8:46:25 
5位 Lisa Perterer (🇦🇹AUT) 8:48:08

▶︎▶︎ レース前記者会見のコラム ※リンク

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