text / Hidetaka KOZUMA
話は2019年のツール・ド・フランスの終盤にアルプスの麓、アンブランの町で起きた出来事から始まる。
宿泊先のリビングでパソコンを開いていたのだが、午前0時前になったので明日のステージに備えそろそろ寝ようかと思ったとき、“コンコン” とドアをノックする音が。。。
「え?」と一瞬背筋が凍り付く。(こんなときあなたならどうします?)
状況を整理しようと思考を働かせていると、また“コンコン” という音が。
見たらドアがすでに半開きに(不覚にも鍵をかけていなかった)。
「なんじゃ、オラ! 」ともう覚悟を決めてドアを開けてみると、そこにはスキンヘッドの大柄な男の姿が。。。
ここでワタシの取材活動は終わるのだろうか? とっさに部屋に何か武器の代わりになるような物がないかと探そうとすると、その男は自分の首にかけているIDカードを差し出し「ツール・ド・フランス! ツール・ド・フランス!」と話しかけてくる。どうやらツールの関係者で自分は怪しい者じゃない、とアピールしているようだ。
こんな大柄な人が訪ねてきたらどーします?
「ならばオレもツール・ド・フランスなんやけどなぁ」と思いながらどうしたの? と聞くと、まったく英語が通じない。(ワタシも似たようなもんだが)
しょうがないのでスマホを取り出しグーグルの翻訳機を使うと、どうやら自分の予約していた宿が閉まっていて中に入れず困っている、ということだった。
ツールの舞台裏ではいろいろな人が運営に関わっていて、彼はオフィシャル車両の運転手のよう。朝4時ごろには次の会場に向かわなきゃならないという。
宿の大家さんに電話したのだが、この時間なのでもちろん出ない。困って考えていると、ふと自分の部屋には2つベッドがあったことを思い出すーー。
いやいやいや。あの狭い部屋でこの大柄な「ツール・ド・フランスさん」と一夜を明かす、というのはありえないでしょ。ここはドライにお断りするしかないと思ったが、見るからに彼は疲弊していて本当に困っているようだった。
う〜ん、どうしたものかと迷う。でもよくよく考えるてみと、ワタシだってこれまでのツール・ド・フランスの行程においては、ホントいろいろな人に助けてもらってきて今日に至るのだよなぁ、と。
意を決し、もう一度スマホで「ボクはあなたを信用しています」。続けて「ボクの部屋にはベッドがふたつあります」と説明した。すると彼は、いやいやとんでもない、それはいくら何でも申しわけなさ過ぎるというジェスチャー。
そして自分のバンの中で仮眠するといい、駐車場へと去っていった。
ものすごく気になったので、しばらくして彼を見に行くと、エンジンを駆けたまま大きな身体を小さく丸めて運転席に座っていた。
「役に立てなくてごめんなさい」そう彼に話かけたときに、自分の部屋にあるベッドのひとつをリビングで使ってもらえてばいいじゃないか、というアイデアが浮かぶ。それでも遠慮する彼を説得し、泊まってもらうことにした。
そして翌朝、リビングへ行くともう彼の姿はなかった。
話はまだ続く。
その二日後、スタート地点のレースパドックを歩いていると、「HEY !」と呼びかけられ、振り返るとあの「ツール・ド・フランスさん」の姿が。
彼の名はダミアン。本当に嬉しそうな笑顔で歩み寄ってきて、しばし熱い抱擁を交わした。
相変わらずちゃんとしたコミュニケーションはとれなかったが、スタート時間が近づいてきたので「また来年のツールでね」とその場で別れる。
2020年の1級山岳でのフィニッシュとなるオルシエール・メルレットで劇的な(?)再開を果たした
そして翌年。その年の第4ステージが昨年の “事件” が起きた町に近いことを思い出し、ダミアンに「今年もツールに来てるんですよ」とメール。すると「うそ? 今ボクもフィニッシュ地点にいるんだ。どこにいるの?」と返事が。その後、めだたく1年2カ月ぶりの再開となったのだった。
この世界最大級のイベントは、選手やオフィシャル、メディア、もちろん観客など本当にいろいろな人が関わり、一団となってツール・ド・フランスという大きな車輪を回し続け、パリへと進んでいく。
そんなレースを3週間も追い続ければ、良くも悪くもいろいろなことがが起こるわけだ。1人の例外もなく。
でも、それがこのレースの魅力のひとつでもあるんだな、と思うはワタシだけだろうか。