話は昨年のツール・ド・フランスの後半、エンブランの町で起きた出来事から始まる。宿泊先のリビングでパソコンを開いていたのだが、0時前になったので明日のステージに向けそろそろ寝ようかと思ったとき、“コンコン” とドアをノックする音が。。。
「え?」と一瞬背筋が凍り付く。(こんなときあなたならどうします?)
状況を整理しようとしばらく考えていると、また“コンコン” という音が。
見たらドアがすでに半開き(鍵をかけていなかった)。なんじゃ、オラ! と意を決してドアを明けてみると、そこにはスキンヘッドの大柄な男の姿が。。。
ここまで来てボクの取材活動は終わるのだろうか? とっさに何か部屋に棒、あるいは鈍器のようなものがないかと探そうとするが、男は自分の首にかけているIDカードを差し出し「ツール・ド・フランス、ツール・ド・フランス」と話しかけてくる。どうやらツールの関係者で自分は怪しい者じゃない、アピールしているようだ。

こんな大柄な人が訪ねてきたらどーします?
「ならばオレもツール・ド・フランスなんやけどなぁ」と思いながらどうしたの? と聞くと、まったく英語が通じない(ワタシも似たようなもんだが)。しょうがないのでスマホを取り出しグーグルの翻訳機を使うと、どうやら自分の予約していた宿が閉まっていて中に入れず困っている、ということだった。ツールの舞台裏ではいろいろな人が運営に関わっていて、彼はオフィシャル車両の運転手のよう。朝4時ごろには次の会場に出なきゃならないという。
宿の大家さんに電話したのだが、この時間なのでもちろん出ない。困って考えていると、ふと自分の部屋にはふたつベッドがあったことを思い出す。
いやいやいや。あの狭い部屋でこの大柄な「ツール・ド・フランス」さんと一夜を明かす、というのはありえないでしょ。ここはドライにお断りするしかないと思ったが、見るからに彼は疲弊していて本当に困っているようだった。
う〜ん、どうしたものかと迷う。でもよくよく考えるてみと、ボクだって初ツールとなるこれまでの行程で、ホントいろいろな人に助けてもらってここまで来られたんだよなぁ、と。
意を決しもう一度スマホで「ボクはあなたを信用しています」。続けて「ボクの部屋にはベッドがふたつあります」と説明した。すると彼は、いやいやとんでもない、それはいくら何でも申しわけなさ過ぎるというジェスチャー。そして自分のバンの中で仮眠するといい、駐車場へと去っていった。
ものすごく気になったので、しばらくして彼を見に行くと、エンジンを駆けたまま大きな身体を小さく丸めて運転席に座っていた。
「役に立てなくてごめんなさい」そう彼に話かけたときに、自分の部屋にあるベッドのひとつをリビングで使ってもらえてばいいじゃないか、というアイデアが浮かぶ。それでも遠慮する彼を説得し、泊まってもらうことにした。
そして翌朝、リビングへへ行くともう彼の姿はなかった。
1級山岳でのフィニッシュとなるオルシエール・メルレットで劇的な(?)再開を果たした
話はまだ続く。
その二日後、スタート地点のレースパドックを歩いていると、「HEY !」と呼びかけられ、振り返るとあの「ツール・ド・フランス」さんの姿が。彼の名はダミアン。本当に嬉しそうな笑顔で歩み寄ってきて、しばし熱い抱擁を交わした。
相変わらずちゃんとしたコミュニケーションはとれなかったが、スタート時間が近づいてきたので「また来年のツールでね」とその場で別れる。
そして今年。第4ステージが昨年の “事件” が起きた町に近いことを思い出し、ダミアンに「今年もツールに来てるんですよ」とメール。すると「うそ? 今ボクもフィニッシュ地点にいるんだよ。どこにいるの?」と返事が。その後、めだたく1年2カ月ぶりの再開となったのだ。
この世界最大級のイベントは、選手やオフィシャル、メディア、もちろん観客など本当にいろいろな人が関わり、一団となってツール・ド・フランスという大きな車輪を回し続け、パリへと進んでいく。そんなレースを3週間も追い続ければ、良くも悪くもいろいろなことがが起こるわけだ。1人の例外もなく。
でも、それがこのレースの魅力のひとつでもあるんだな、と思うはボクだけだろうか。